2007年11月10日土曜日

10月14日(日)AM11:05、藤子不二雄A先生対談会にすべり込みセーフ!

  原稿展は後にして、対談会会場へ猛ダッシュ! 商店街から駆け足で2~3分できれいなホールについた。エレベーターで会場フロアに上がる。ドアは閉まっていて、すでに始まってる雰囲気だ。遅れて来て途中で入れてもらえるだろうか?商工会主催の対談なので、おそらく青年部の人だろう、受付のお兄さんに、おそるおそる訪ねた。

  「あのー、藤子先生の対談会はこちらですか? 遅れてあれなんですけど、、、。」

  「どーぞ、どーぞ!」と、ニコニコして手招きしてくれた、親切だぞ!氷見商工会青年部。


  どうもありがとうございました。
  ドアを開けて入ると、そこは100人ぐらいが入る小ホールという感じで、照明設備もちゃんとして、座席も階段状になったいいホールだった。

 そして、ステージの上には、藤子不二雄A先生が座ってらっしゃった! 本当に生きてしゃべって動いてるA先生だー!
 (アタリマエジャ、シツレイダニー)
 なんか、A先生の周りが光って見えるー!ご人徳かー! 
(ダカラ ショウメイライトガ ヒカッテルンダッツウノ)

  A先生は昭和9年生まれ、「ご健康状態はどうかな~?」と、自分の目で見るまで心配していたのだが、無用だった。お元気、お元気!昔、「ギミアブレイク」で、大橋巨泉相手にしゃべってた頃よりも、さらに饒舌にしゃべってらっしゃる。

「小5の時、おまえまんがうまいのう、と声かけてきたのが藤本君(F先生)。」

「上京1年後、高岡に帰省した途端、1ページも書けなくなって、連載全部落っことした。」

「子供のころは赤面症で、電熱器、と呼ばれてた。」

「親父が死んでなければ、今頃禅寺を継いでた。」

など、有名なエピソードを次々披露、みちぞうはデジカメの静止画と動画をフル回転させました。が、途中で、


ホンモノガ メノマエニイルノニ デジカメノ エキショウヲ ミテルナンテ マヌケダニー
と気づき、デジカメは頭の上で構えて、肉眼は本物を見るという独自ポーズを編み出した!

市長との対談会は、確か40分ほどで終わり、先生は退席された。
さぁ、いよいよ出待ちだ、みちぞうは藤子不二雄A先生のサインがゲットできるのか?

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